子どもが体調不良の日に思ったこと

子どもとわたし

——「ケア」と「支配」をほどいて、自分の反応にも目を向ける】

子どもが続けて体調を崩した日、まず意識したこと

子どもたちが続けて発熱した。
しんどそうだなぁ、と胸がきゅっとなる一方で、看病する側の私も、自分の体調をよく観察しておかないと…と思った。

少しでも寒いと感じたら白湯を飲んだり、上着を足したり。
栄養をとって、眠れる時は昼寝もする。
看病って、つい“自分は後回し”になりがちだけれど、倒れるわけにはいかない立場だからこそ、体をいたわるのも大事な仕事のひとつなんだよね。


“あれいる?こうしよっか?” をやめてみた

今までは、体調を崩した子のそばでついつい声をかけてしまっていた。
「あれ持ってこようか?」「こうしようか?」と、良かれと思ってあれこれ動いてしまう。

でも今回、ふと思った。

「要望があった時だけ動けばいいのでは?」

そう決めてみたら、娘は呼び鈴だけそばに置いておけば落ち着いて過ごしていた。
必要な時だけ「呼んでね」で十分だったらしい。

私が“良かれと思って動くこと”って、実はケアではなく支配に近いのかもしれない。
私が不安だから動いていただけで、子どもにとっては“静かに過ごす安心”のほうが大事な時もあるんだよね。


「怒りは防衛反応」という学び

ここ最近もうひとつ、腑に落ちたことがある。

それは、怒りって実は“防衛反応”なんだということ。

「もうこれ以上、負荷をかけないで!」
「しんどいから刺激を減らしたい!」

そんな時に、怒りってバンっと出やすい。

だから、

娘は熱やら不快感でいっぱいいっぱい、私は少しでも何か役に立てばとアンテナを立てすぎていっぱいいっぱい

で、お互いにイライラしちゃう。

娘は「もうやだ!」私は「こんなにやってあげてるのにその態度は何!?」って。


そして思うに、怒りがわく“前段階”がスルー(反応しない)なんだと思う。

風邪でしんどい時の子どもって
・呼んでも反応しない
・ぼーっとしてる
・返事が薄い
みたいな場面が多い。

あれ、無視するというより、負荷を下げるための防衛だったのかもしれない。

けどリアクションを求められるから、余計に負荷になって怒りの言葉や態度が出るんだと思う。

だから、スルーされたらそれはそれでいいんだなって思うようになった。


スルーされると胸がざわつくのはなぜ?

とはいえ、スルーされると普通に悲しい。
「看病してるのに、軽く扱われた?」
「自分が価値のない存在みたいに感じる…」
そんな不安が一瞬で胸をざわつかせる。

でも最近は、その瞬間にこう思う練習をしている。

「あら、今は不要だったのかもしれない」
「あ、疲れてるんだな」
「私の価値を下げるためにやったんじゃない」

怒りのスイッチって、
・自分を守る反応
・自分の価値が脅かされたと感じた瞬間
に入りやすいらしい。

それに気づいてから、スルーされた時の“内側のざわつき”と距離を置けるようになった。


「必要な時に呼んでね」の距離感は、安心につながる

今回の看病で気づいたのは、
子どもが安心する距離感と、私が不安になる距離感はちょっと違うということだった。

私は近くにいてあげたいし、すぐ動いてあげたい。
でも子どもにとっては「静かで見守られている感じ」が心地よい時もある。

その感覚を、お互いの真ん中で調整できたらいいなと思う。

呼ばれたらそばに行く。
呼ばれなければ少し離れて見守る。
自分の価値をそこに結びつけない。

そんな“ちょうどいい距離”を探す練習を、少しずつ始めている。


おわりに

看病の日って、不安や心配が強くなるぶん、自分の癖や反応がよく見える。

今回の数日間は、
・自分のケア
・子どもの安心
・距離感の調整
この3つをていねいに行き来する時間だったように思う。

負荷のかかる日ほど、自分のネガティブな感情と向き合うチャンスだなって。

だからこれからも学びながら上手く付き合えるようになっていきたいと思う。