今日は、ちょっとしんどい日の記録です。
誰かの役に立つとかじゃなくて、
まずは「自分の気持ちをそっと置いておくため」に書いています。
病み上がりの娘と、終わらない要求
娘はここ4日間、発熱と嘔吐でおうち生活。
ようやく登園できたと思ったら、給食後にまた吐いてお呼び出し。
迎えに行くと、娘はすっきりした顔。
けれど、家に戻った瞬間からスイッチが入りました。
「ひま」「あそぼ」「つまんない」
気づけば、
あれ取って、これ持ってきて、こっちきて。
要求の波が止まらない。
シャボン玉をぶちまけて、
ゼリー食べて、
息子用の小さなペットボトルにシールをびっしり貼って、
散らかしたまま次へ行ってしまう。
私はご飯を温めようとしていたけれど、
それすら許されず、
「いらない」「食べたくない」で心が削れていく。
午後は、ほぼ5時間たちっぱなし。
息子の授乳も重なって、気持ちはもう限界ギリギリでした。
そして、とうとう私の“無理”がやってきた
娘に嫌気がさした自分を責めて、
イライラして、
焦って、
何度も深呼吸して、
それでもダメで。
そんな私を見かねて、夫が娘を連れ出してくれました。
ありがたい気持ちと、申し訳なさの両方が胸に押し寄せる。
息子の寝顔を見ながら、ようやく呼吸が戻ってきたとき、
ふと気づいたんです。
私、娘の気持ちを“受け取りすぎてた”んだ。
娘の
「見て」「来て」「やって」「取って」
その全部に応えようとしてた。
怒らせたくなくて、
不安にさせたくなくて、
ママのせいにされるのが怖くて、
散らかりを見ると夫の顔色まで気になって。
気づけば、
娘の不安を全部、自分の中に入れてしまっていた。
でもね、
子どもの不安って、大人が深く反応すればするほど大きくなるんだそうです。
“ママが大騒ぎする=これは大事件だ”と勘違いしてしまう。
今日の娘の要求の嵐は、
きっと私の反応にも助けられて、加速してしまっていたんだと思う。
「薄い返し」という、やさしい境界のつくり方
これは、今日の気づき。
返すのをやめるんじゃなくて、
反応の“濃度”を下げる。
・「見てー!」→「見てるよ〜」
・「こっちきて!」→「ここにいるよ〜」
・「取って!」→「そこにあるよ〜」
深く同調したり、全力で応えたりせず、
ただ“存在だけ”返す。
それだけで、娘はちゃんと安心する。
むしろ、不必要に巻き込まれないぶん落ち着きやすい。
これは娘に冷たくする方法じゃなくて、
私が壊れないための、やさしい境界線。
夫にも、少しだけ“薄さ”を使っていい
帰ってきた夫は、自分の話をずっとしていた。
その横で娘はスマホを見ながら、時々「ママ見てー」。
疲れているときの夫の長い話は、
私の心の電池を減らしてしまうことがある。
だから、夫にも
「そうなんだ〜」
「へぇ〜」
「あとでゆっくり聞かせてね」
と“薄い返し”を使っていい。
それは冷たさじゃなくて、
私の余力を守るための距離感。
“今日を生き抜いた自分”を、ちゃんと認めたい
今日の私は、もうめいっぱいだった。
それでも
・怒鳴らずに踏ん張って
・息子を守って
・娘の安全も見て
・ご飯も作って
・家という場所をまわして
・限界になったことをちゃんと認められて
・夫に「ありがとう」と伝えられた
これって本当は、すごいことなんだと思う。
完璧じゃなくていい。
できなかったことより、
“やり切れた自分”を見てあげたい。
さいごに。
子育ては、きれいごとじゃ回らない日がある。
むしろ今日みたいな日こそ、
自分だけは自分の味方でいようと思う。
また明日、もう少しだけ軽い気持ちで、
娘の「ママ見てー」に返事できたらいいな。


