最近ふと、心に引っかかる言葉があって。
「自立した者同士じゃないと、関係はもろい」
ってやつ。
どこで聞いたのかは忘れたけれど、
こういう“正しそうに見える言葉”って、
繊細なタイプほど深く刺さる。
そして例にもれず、私もずっと揺さぶられてきた。
夫に頼ってしまう自分に、不安を感じていた
私はよく、夫の楽観さに助けられる。
私が心の沼に沈みかけているとき、
夫はいつも軽やかに
「まぁなんとかなるよ〜」
って風を入れてくれる。
そのおかげで救われる場面が多いぶん、
ふと不安がよぎる。
“夫がいなくなったら、私はやばいのかもしれない”
そんなことを考えて、
自分の頼りなさを責めることもあった。
でも、そこで気づいたことがある。
昔の私は「自立」という言葉に縛られていた
思い返すと、
私はずっと“自立”という言葉にとらわれていた。
弱い自分を変えなきゃ、
強くならなきゃ、
頼らずにやらなきゃ……と。
本で読んだ“自立とはこうあるべき”みたいな言葉をそのまま信じて、
自分の足りないところばかりを責め続けていた。
「夫に頼る=未熟」
「弱さを見せる=自立できてない」
そう思い込んでいたんだと思う。
でも今は、だんだんわかってきた。
自立って、本当はそうじゃない。
自立って“全部ひとりでできること”じゃなかったんだ
そもそも自立って言葉には、
2種類の意味がある。
ひとつは、
“なんでも自力でできる”という硬い自立。
もうひとつは、
“必要なときは人に頼れること”という柔らかい自立。
昔の私は、前者の方ばかり信じていた。
「ひとりでやれる人が強い」と。
でも今になって思う。
後者こそが、本当の意味での成熟だ。
必要なときに助けを求められること。
自分の弱さを認められること。
相手に寄りかかりすぎず、でも寄りかかることを恐れないこと。
それができるからこそ、
人との関係は長く続く。
私たちは“弱さ”で結ばれてるんじゃなくて、“役割の違い”で支え合ってる
夫の軽やかさは、私にはない強み。
私の気持ちを細かく見る力は、夫にはない強み。
私が弱いから夫に頼ってるんじゃない。
お互いの強いところと弱いところが違うから、噛み合ってる。
・私は心の空気や子どもの気持ちを読む側
・夫は空気を軽くしたり、切り替えたりする側
ただそれだけ。
“自立した者同士じゃないと脆い”
という言葉に揺さぶられてた頃の私は、
この役割の違いを弱点だと思ってた。
でも今は少しずつ、
それが“チーム”として成り立つ理由なんだとわかってきた。
頼り合える関係は弱さじゃなくて、強さの証だと思う
もし私が“完全自立”して、
誰にも頼らずに生きることを選んだら、
きっと心のどこかが固く閉じてしまう。
弱さを見せないと、相手の弱さも受け取れない。
助けを求められないと、相手の助けも返せない。
だから今は、
“頼る”ことが怖くなくなってきた。
夫が私を支えてくれる時間もあれば、
私が夫を支える瞬間もある。
完璧ではない二人が、
その時々の力を持ち寄って、
どうにかやっていく。
それこそが、長く続く関係の強さなんだと思う。
さいごに
昔は“弱い私を治さなきゃ”と思ってたけれど、
今はもう少し柔らかい視点で
自分を見られるようになってきた。
自立とは孤立じゃなく、
依存とは甘えじゃなく、
頼り合うことは未熟じゃない。
あの頃の私に言ってあげたい。
弱いんじゃなくて、
ちゃんと人と関わって生きてるんだよ。
そして今の私は、
その続きの道にいる。


